この間大学の友人が、
「男にも生きづらさはあるけれどそれは男性自身が作り出したもの。だから女が救済してやる必要はない」
という意の発言をしていてちょっと驚いた。
普段は多方面に配慮した物言いをする子なのに、その時はかなりきっぱりと否定したから、そうやって断絶せざるをえないほどの経験があるのかもしれないなぁとその時は思った。
私個人の思想としては、
・女性の生きづらさは確かに存在しているとは思う
・逆に、女だから許されてきたこと・得したこともたくさんある
・同様に、男だからという理由だけで何かを強要されてきた人もいるはず
・そういう意味では、男女問わず生きづらさはある
こんな感じ。
なので、彼女に対しても「男にも男の生きづらさみたいなものはあるんじゃない?」と言った。
それを受けての発言が冒頭のもの。
彼女はその方面の学問にかなり詳しいし、私の何倍も熱心に勉強していた(楽単探しに奔走していた私とは全然違う)ので、彼女の発言の方が世間的には正しいものなのかもしれない。
けど、そんな排他的でいいの?という。
「生きづらいと感じている男性」と「男の生きづらさを生み出した男性」は性別が同じというだけで、まったくべつの種類の人間だと思うし。そこに関して、安易に性別で分類して切り捨ててよいものなんだろうか。
たぶん、性別で切り分けて物事を考えましょうという思想が私には合わないんだろうな。人類皆平等とはもちろん思っていないし、人を分類して優劣つける卑劣さは、その分類基準が性別ではないというだけで私の中にもあるけどね。残念ながら。
でもやっぱりきれいごというなら誰も取りこぼされない社会であってほしいよ。ナナリーの言う「優しい世界」ってやつ。15歳にして偉大過ぎる。