おばあちゃんが亡くなったのに全然悲しくない。
こんなこと、薄情すぎて口にも出したくないが、時間が経つと自分の中で美化してしまいそうだからいま書く。
木曜の夕方に父からその連絡があった。
残業中に通知でそれを知って、最悪だけど、明日以降の仕事と詰め込んだ予定のことが浮かんでしまった。宅急便時間指定しちゃったな、舞台のチケット取ってるけど行けなさそう、15,000円もしたのにな、てかこの時期に仕事休むのまずいかも、そういえば生理被りそう。
もうずっと前から伏せっていて、うすうす覚悟をしていたから、というのはあるかもしれない。認知症を患っていて、私のことももうあまり覚えていなかったり、コロナ禍で会えていなかったからかもしれない。だけど大好きなおばあちゃんだった。
それなのに、ひとつも涙が出なくて、薄情な自分にとても落ち込んでいる。
家族と車でおばあちゃんちに行ってたころ、帰りの車に乗った私たちにずっと手を振ってくれてだんだん遠ざかるおばあちゃんに後部座席から手を振り返しながら、「もしかしたらこれが最後かもしれない」と思って泣きそうになったことをまだ覚えている。おばあちゃんも、私たちが帰ることを寂しい寂しいと言っていたから尚更悲しかった。
そこがたぶん、悲しみのピークだった。
それから、リアリティを持って悲しむにはあまりにも長い時間が経った。もう何年も会っていなくていまの私にとって近い存在ではなかった、し、おばあちゃんにとってもそうだっただろうと思う。あるいは、覚えていてくれたとしても、小さい子どもだった私だけ。
死という一点に向かう悲しみが10あったとして、それがいっぺんに坂を転がってきたらもうめちゃくちゃ悲しくて耐えられなくて泣き喚くと思うんだけど、それが何年もかけてゆるやかな坂道を1ずつ転がってきて、今最後の1がぽんと転がってきたくらいの悲しさ。そんな感じ。
そのように悲しみを受容していく時間が与えられていること自体が幸福なのかも。とすら思う。例えば今ガザでは、その10の悲しみが坂道どころか急転直下で降りかかるような毎日を送っている人がたくさんいるのだから。
本当に、あまりに冷酷すぎて、誰にも言えない感情だけど、紛うことなく私の感情だからここに書いておく。