いつか遺書になる

大事な気持ちだけカプセルに閉じこめて取っておきたい

甘々に甘やかされたい

 

私の母親は働きながら全ての家事を当たり前にこなし、子どもの話をいつでもうんうんと楽しげに聞くようないい母親だったと思うが、私を庇ってくれたことはついぞなかったように思う。


…ということをふと考えたのは、中学で私が部活を辞めると伝えた時を思い出したからだった。人間関係のトラブルで部活を辞めたいと言った私を慰めることもなく、顧問に口添えしてくれることもなかった。それどころか辞めるのすら渋ったような覚えがある。


よく考えると、私がつらい時に頼りにしていた、したいと感じる大人というのは誰だっただろう?と思って、いないかもしれないな。と思った。

人生で精神的につらかったタイミング──主に中学の部活と就活時期──を思い出しても、誰かに心を支えてもらったという記憶がない。そしてそれは、親との関係に起因するような気がする。


いや、もちろん尊敬する大人・好きな大人はたくさんいたけど。塾の先生とか高校の先生とか、今の会社の上司も好きだし。

でも頼り方は全くわからない。


まぁ誰かに寄りかからなくてもなんとかやってこれたからということもあるのかも。だけど甘える人がいないから一人で立たざるを得なかったのか、どちらが先なのかは今ではわからない。


もう今は私が支える側の大人になってしまったけれど、誰かに助けられる経験がなかったというのは結構なんというか、たまに凄く苦しくなる。し、助けられてこなかった私が誰かを──たとえば自分の子どもを助けられる気がまるでしなくて、それもまた苦しい。(実際ボランティアで子どもとかかわった時も、うまくかかわれたことはなかった)

慰め庇うことだけがサポートではないし、それ以外の形でいろんな人にサポートしてもらったことはじゅうぶんにわかっているけど、それでもね。