いつか遺書になる

大事な気持ちだけカプセルに閉じこめて取っておきたい

愛はあった、それなら

 

私が持つ気質(自己肯定感の低さとかその他いろいろ)のルーツを調べると、「家庭の環境が原因」という記述が多い。

そう言われて思い返せば、嫌な記憶が大小ぽろぽろと出てくる。お姉ちゃんなんだからってよく言われたこと、人間関係が悪くて部活を辞めたいと伝えた時理解してもらえなかったこと、顔がかわいくないと言われたこと、今の会社に入ることを反対されたこと。とか。

それが私の今の気質を作ったと言われればそうかもしれないとも思うし、未だに許せない部分もある。

 

でもそういうことだけをピックアップして、親を丸ごと恨むことは間違ってるんじゃないかと最近思ってきた。

 

だって、上記のエピソードがあったから私の親が俗に言う毒親なのかと言われると絶対にそんなことはなく、母は当たり前のように食事を作り家のことを全て行ってくれていたし、父は文句一つ言わず私大を卒業するまで学費を全部出してくれた(正直、情緒的な面でサポートしてもらったという記憶はあまりないけれど。でも私が気づかない形で何かしらしてくれていたのかもしれない)。

自分で言うのもなんだけど、そこにはたぶん子どもに対する愛があった。

 

だとしたら、今の私がどんなに辛く苦しかったとしても、その原因を親に求めることは間違ってるんだろうなと思う。

子育ての過程にも結果にも正解がない以上、親は自分のできることを自分の範囲内でやるしかなく、その結果出来上がったものがどうなるかは誰にもコントロールできない。

もちろん、明らかに子どもに悪影響があることをそうとわかっててやること(虐待とか)は絶対に許されない。けど、親が良かれと思ってしてきたことを、結果が悪く出たからといって「あなたの育て方が原因でわたしは傷ついた!こう育ってしまった!」と声高に言うのは傲慢なんだろうなという。

 

たぶん、私が想像し求めた愛と、両親が愛だと思って出力したものは違ってて、どちらが正しいということもなく、ただ理解し合えなかっただけ。

でもそこに愛があったのなら、責めるべきではないんだろうと思う。

まぁ、だから親を許しましょうという偽善くさい話ではなく、もう今更どうしようもないことを考え恨んでも詮無いよなという話。