いつか遺書になる

大事な気持ちだけカプセルに閉じこめて取っておきたい

視点の話

 

とあるクラウドシステムについて上司と話をしていて、

 

「文系の人にはわからないかなぁ、この感覚」

 

と言われたことに三連休かけて落ち込んでいた。上司はたぶん馬鹿にしたつもりはないと思うけど、私自身、理系と文系の間にはかなり能力差があるのではとうすうす感じていて、それをなんとなくコンプレックスに思っていたので。

 

いきさつとしては、利用しているシステムの構造がわかりづらくて、とあるタブが設置されている場所が理論的に考えておかしい、と上司が言ったことだった。

私はあまりそこに使いづらさを感じていなくて、で、先述したことを言われた。

 

でもこの感覚のずれって文系理系は関係ないのでは?と思う。

思うに、上司はシステムを設計する側の人としてシステムを見ている、んだと思う。もともと開発部の偉い人だったし、自然とそういう見方ができるんじゃないかと。

対する私は生まれてこの方ずっとユーザー側。趣味の範囲でPCもスマホも触れてきたけど、アプリの構造なんて考えたこともない(働き始めてからは前よりかは考えられるようになったけど)。

 

だから、上司は作る人として「ユーザーのことを考えたらこう作るべきだ」と考えていて、私は使う人として「システムがこうあるのだからそれに従うべきだ」と考えているからずれが生じるんじゃないかなぁ。と。

 

誰かが作ったものを使うということは、その誰かが作ったフォーマットを使わせていただく・そこに自分を可能な限りあてはめていくということだと思っていて、フォーマットに対して疑念・不満を抱くという感覚が私にはあまりない。不満を抱いたところで自分のもちものではないのだからどうしようもないし…。

 

これはあくまで私の考え。作る能がないがゆえの負け惜しみ的考えなのかも。

 

ちなみに、金曜にこれを言われて傷ついて、感情的につらつら上記のようなことを考えながら帰ったけど、今日冷静になってシステムを見てみたら確かにちょっと構造おかしかった。

上司すごい人なんだけどすごい人すぎて自分のだめさに落ち込む。私も同じだけ働いたらこの人みたくなれるんだろうか。